状況証拠に頼りすぎる我が国の司法が気持ち悪くてしょうがない

 最近まであまり気にもしていなかったのですが、痴漢冤罪事件が多かったので色々調べていたら、毒入りカレー事件の林真須美も、状況証拠だけで死刑判決を受けていたことを知り驚きました。PC遠隔操作事件でも、最後は自首という形になりましたが、途中まで検察は、状況証拠だけで有罪に持って行こうとしていました。

 確かに状況証拠が集まると怪しんでしまうのはわかりますが、あまりにも説明できないケースというか、不明確な点を多く残したままなのに、状況証拠がたくさんあるからこいつだ的な考え方が横行しており、もはや法治国家ではなく人治国家としか認識できません。

 確かに事件は気持ち悪いですよ。真犯人も捕まって欲しいです。しかし、誰かが犯した罪を追求するというのは簡単ではありません。というかまじめに考えたら不可能なケースも多いでしょう。毒入りカレー事件も結局直接証拠はなにも無いわけです。ではなぜこのような状況で有罪判決に持って行きたがるのでしょうか?別の真犯人がいる可能性が全く否定できていないのにです。これはやはり捜査機関の威信というか、結果というか、つまりメンツのためだと考えるのが妥当ではないでしょうか。つまり、仮に林真須美が犯人ではなくても、これを見せしめとして他の犯罪が抑止できたらなぁなどという期待と、とりあえず事件を解決しましたという結果を手に入れたいだけではないでしょうか。

 この考え方は末端の警察にも浸透しているようで、とりあえず状況証拠だけまとめて送検するというのは当たり前のようです。司法警察職員は自分たちが何をやっているのかわかっているのでしょうか?自分たちがそこまでして他人を裁いて良い存在だとでも思っているのでしょうか?事実冤罪は存在しますよね。ということは、このような捜査や判決は大いに間違い、人の人生を無駄に狂わせることがあるということは証明されているわけです。それでもこのようなやり方を続けたいのだというのであれば、解決になっていないのに解決したように見せかけて安心したいというだけの病気だと思いますね。

 まぁでも、人治国家的になりがちなのが世の常であり、テンパった人間がむき出しにしてしまう人の本質の一部なのかもしれませんね(´・ω・`)