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逆張り大好きな長谷川豊の岩手中学生自殺事件に関する記事がいつもどおりアホな件

blog.livedoor.jp

 いやー、この長谷川豊という人物はどこまでアホなのかと本気で思います。絶歌に対する持論を述べていた記事も、手記の内容と全く逆のことを述べていて相当頭がおかしいなとは思っていましたが、岩手中学生自殺事件についても完全にズレています。

 これは本当にいじめだったのか、ということを言えば慎重な目線から意見を投じているように振る舞えると思ったのでしょう。しかしクラス内での自殺問題で本当の論じるべきこととは、教育機関の仕事の結果として自殺が起きたりする、ということなのです。

 すし詰めのような環境の中で、まだ幼く感情だってむき出しにする子供が長期間集団行動をすることになるので、生徒間での軋轢が生じるのは過去の長い経験からわかっていることで、少なくとも義務教育ではそれらをケアして当然です。また、この事件では自殺した少年が明確な表明を担任との交換日記で行っているにも関わらず、適当に流して放置していた責任は重大です。中学生であろうと自殺するのは弱いからだとは私も思いますが、それでも子供を預かると自ら表明しているくせに無能な教師達の責任は重大です。最近中学教師の仕事が忙しい、過重労働だなどという言い訳を良く耳にしますが、それをやるといって教師になり、大して効率的に物事を教えてもやれていない割に、子供の前で偉そうにしているのは教師本人たちなので、嫌ならやめてしまえと言うしかありません。世の中には教師の仕事なんかよりずっときつい仕事を長年やっている人がどれだけたくさんいるか知らないのが教師というものでしょうか?生徒の理解度に拠らず、適当に読み聞かせを行い、適当に宿題を作って、適当にテストを作って採点し、報告書を作るといったような仕事ぐらいで過重労働?笑わせるなと言いたいですね。それで子供が皆賢くなっているなら大したものですが、現在の日本の教育では、かけた時間の割には勉強が嫌いになっていく子の方が多いです。

 少し話題がずれましたが、長谷川豊は以下の様な驚愕の記述を行っています。以下引用です。

三つめはイジメられたからだと言って、自殺した人間を考えなしにフォローすべきではありません。
自殺した生徒は苦しかったでしょう。辛かったのでしょう。でも、私は自殺を認めません。絶対に認める気はありません。自殺は「殺人」です。自分の大切な命を殺す行為です。殺人は認めません。
日本では、考えなしに「死んだ人間はみんなで褒めちぎろう」という文化があります。間違った文化です。
自殺した人間も、非難されるべきです。本音では同情していてもいいです。でも、表面に出すべきではない。イジメで自殺?イジメられている人間も、絶望している人間も、世の中にはいくらでもいます。だからと言って、自分を愛する多くの人を傷つける…自殺という行為を認めるかのようなフォローをすべきではありません。
その自殺によって、いったい何人が苦しむでしょうか?一体どれほどの傷を周囲に与えるでしょうか?それらを考えたら、自殺は選択してはいけない行為なのです。少なくとも、私はそう考えています。

 この長谷川の持論には決定的な恥ずかしい矛盾があります。それは、いじめであった証拠がない、などと言っている割に、長谷川だって証拠を持っていないくせに公平に両者を見ようとはしておらず、完全にいじめられた側が悪いという論調になっているところです。いじめた側の暴行は本来警察が出る案件だなどとまで述べておきながら、本当にいじめだったのかなどと言ったところで、いじめどころではなく傷害事件なので長谷川が冒頭で出している逆張り意見を自分で意味のない内容に仕上げているというアホぶりです。おそらくいじめを気に病んで自殺した生徒に対して、長谷川の性格によるところもあって嫌悪を感じているのでしょう。まぁそれはわからなくもないですが、中途半端でも言論人を気取っている人間が個人の好き嫌いだけを元に問題を総括したような気になっていることは、これもまた嫌悪すべきことでしょう。

 今更思ったのですが、長谷川豊はちょっとした発達障害