「意識高い系」に過剰反応する人にも問題がある

 「意識高い系」という、ネットスラングがそのまま周知された言葉があります。

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 まぁ、意識高い系を批判する人の言い分も分からないではないのですが、さも意識高い系だけがウザくてダメな側だという風潮には疑問があります。その理由は以下のとおりです。

  • 意識高い系みたいなやつがいるのは普通。行動前に口にだすことは確かにやらなくてもいいことだが、だからと言ってそれに過剰反応する必要もない。なぜなら、口に出す出さないと能力の有無は別問題だから。無能が他人を批判したらそれは意識高い系ですらなく、単に批判する資格のない人間だと批判すれば良いだけであり、意識高い系という用語を使用している人間はその点をまず混同しているように思えてならない。
  • 意識高い系が慎ましくないことを批判しているが、向上心を直接見せつけられることによって自身の闘争心が励起され、それが意識高い系への敵対心となっているのだが、それを批判として表現している点が卑怯。
  • 学生団体活動をすぐ作りたがることが意識高い系の特徴として挙げられているが、就職活動などのコツとしてそういった活動を行って完遂させたことが、就活での評価に繋がるなどと散々吹聴してきたのは大人たちであること。

 まぁ、人が複数より集まればなんだかんだと言うやつも出てきます。意識高い系批判者の中には、本当に慎ましさを求めて批判している方々もいらっしゃるかと存じますが、この批判は正当だと思います。しかし、意識高い系の正当な自己主張にまで、自己主張が過ぎるぞと批判している者は、ただの過剰反応にしか見えません。別に学生団体作って活動したっていいじゃないかということです。

 自己主張する者が目の前に表れた時、その処理が下手な人というのはかなりの数存在しますが、これは義務教育における学校のように、画一化された立ち振舞を求められる社会が作り上げた一種の厄介な性格だと私は思います。私は多少の自己主張をする人物がいてもむしろ面白いとしか思いませんし、その人物が害敵で無い限り嫌悪感を持つ理由も全くありません。

 これは不思議なことなのですが、目立っている人物が異常に嫌いな性格の人というものが確実に存在し、意識高い系批判というのは、主にそういった性格の人が生み出したものだと思いますし、話は違いますが学校でのいじめ問題も、割りとこのような理由で起きていると経験から思います。

 なので、意識高い系批判が全てにおいて正しいとは思いません。