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相模原緑区障がい者施設「津久井やまゆり園」大量殺人事件と障がい者間引き問題

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 またとんでもない事件が起こりました。植松聖(26)が、務めていた障がい者施設の障がい者を大量に殺したという事件なのですが、このような話を聞いて、加害者に倒錯を感じるのは以下の様な点です。

  • 重度障害者には親族の同意の元安楽死が必要だという考えなのに施設で働くことを一度は自分で決めている。
  • 犯行後、障がい者のせいにしているが、職場や目標がうまくいかなかった恨みなども吐露している。

 障がい者でしかも他人である者のケアをする仕事などというのは、並の人物では務まるようなものではありません。植松のように全く成ってない者などは問題外です。
 これは、子供の頃から障がい者に接する教育などを受け、慣れていないと意外とわからないかもしれません。子供の頃は素直なので割りと障がい者に優しく接することができるかもしれませんが、大人になると様々なストレスもある中で障がい者と長時間接するなどということはなかなか出来ないものです。しかも他人です。
 障がい者の間引きに対する思想に対し、一部同意する意見を表す人もネットにはいます。実はこれは、1人で考えてこじれた結果、このような事件を起こしたバカな植松とは切り離して考えなければいけない問題で、重度障害者は生まれた後、親に殺す権利を与えるべきだというのは割りと普通の考え方だと思います。間引きの習慣は、表で積極的に話題に出されることはありませんが、人間社会の営みとして、どこの国でも古くからあったし、今もどこかではあるのです。
 殺すと聞くと暗く邪悪なイメージしか持たない人もいるかもしれませんが、人間が出産するということには重度障害者が出来てしまうというリスクも有り、それに対する対応を本当は真剣に考えなければいけないということも現実では有るのです。出産する親は、その「対応」を当たり前のことと認識できる心の強さが本来必要なのだと真剣に思います。
 重度障害者を産むと決断する親は、本来は全て自分で受け止めきる覚悟と実力がないと出来ないのです。産んでしまった結果、受け止めきれなくて施設が必要になっています。また別の問題ですが、それが利権になっている人たちもいます。重度障害者の問題を、命だからとか、かわいそうだからとか、陳腐な感情と言葉を盾にして済ませているから問題が残るのです。
 
 しかし、この問題とは完全に関係なく、植松聖は自分の人生に対する鬱憤やそこから生まれる怒り等を解決出来ず、たまたま自分が就職してしまった施設の障がい者にぶつけただけの異常者でしかありません。障がい者は死ぬべきだと言っていますが、植松に言えることではありません。