大谷翔平が野球における強者でも、それを見て狂ったように喜んでいる奴らは白痴にしか見えない

 興行としての野球なんてものは、所詮地道な日常の中で、気を紛らわせてくれる見世物にすぐに踊らされてしまう類の群衆を狙って作られているものに過ぎない。
 個人的に、見世物としての野球などというものは、本当は社会的な敗者である層に、そうであることを一過的に忘れさせ、それを継続していくことでついには白痴化するための、一種の洗脳ツールだと思っている。

 もっとわかりやすく言えば、己が何かしらの成功者でもないのに、明らかに普通の就労者とは桁違いの報酬を受け取っている成功者を見て何を喜んでいるのだろうかと思ってしまう。
 人がいいのであろうと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、悪く言えば白痴である。
 テレビの報道番組などで称賛している演者の中には、ネガティブなことを言ってひがみと解釈されるのが嫌だという動機から、建前として称賛しているものも少なくないだろうが、中継などで映される、「いわゆる野球ファン」などはそうは見えない。
 周囲の空気もあるだろうが、その中で「明らかに野球ファンたちとはレベルが桁違いの人」を皆で称賛するという滑稽なお祭りの中に身を投じているのが好きな変な人にしか見えない。

 なぜ、このような人たちがいなくならないのか私は理解できない。いや、こういった集団の存在は昔から知っているため、一部の人々はこういう行動をするものなのだという認識は出来ている。しかし、「いわゆる野球ファン」たちが祭りを終えて家に帰った後も、つい先程まで集団の中で狂ったように手を叩いて称賛していた相手を、心底称賛し続けているとは考えられないのだ。
 そうだとしても、「いわゆる野球ファン」たちは、また日常のうさを晴らすために、祭りの間だけでもしょぼい自分たちを慰めるためだけに、狂ったように野球チームやプレイヤーを「応援」しに行くのだろう。